東の果ての公開日誌

ネットに不慣れな表現好きによる欲求放出の庭

背筋伸ばして歩き出そうと

最近忙しくてなかなか書けませんでしたが、先週東京に出かけてきました。

母方の従兄弟で集まった飲み会に参加するためです。

飲み会をする池袋に行く前に、先日盛岡に行ったときは土日だったのでできなかった、岩手銀行の解約に行ってきました。

栃木に帰ってきてからは全く使っていなくて気がかりだったので、岩手県以外の唯一の支店である東京営業部に行って解約をしてもらいました。

やはり「休眠口座」になっていました。

10年以上前に盛岡に行ったときに入っていたお金はほとんど下ろしていたので、残高はほとんど残っていないと思っていましたが、なんと全く記憶にない1万円が「貯蓄預金」に残っていました。

こんなお金なら覚えていてよさそうなもので、「もしかしたら」くらいには思っていましたが、実際にその1万円を手渡されると、恐怖を感じるような気持ちになりました。

記憶力がどんどん弱っているとは思っていましたが、ここまでの事実を突きつけられると、やはり恐ろしいです。

さて、解約が終わったら池袋に向かい、少し早かったので、20年前に働いていた会社から3週間ほど腕時計の「販売応援」を任されたビックカメラを久しぶりに見てみることにしました。

腕時計コーナーは当時ずっと大きかったと思いますが、かすかな記憶しかないので、もしかしたらそれほど変わっていないのかもしれません。

いずれにせよ、ここでも昔の記憶が消えていこうとしていることを実感することになりました。

その後田舎者丸出しな感じでサンシャインの展望台を1人で見に行ったりしてから、飲み会の会場に行きました。

従兄弟たちとは2,3年に一度くらいのペースでしか会っていませんでした。

こんな飲み会のような形でじっくり話すのは、特に従兄弟だけでということになると、大人になってからはほぼ初めてです。

子供のころ、盆と正月には必ず母の実家に集まって大勢で泊まっていたので、やはり昔の話で盛り上がりました。

やはり忘れかけている話、覚えていない話なども出てきました。

おじさんおばさんやお互いのことなどを当時どう思っていたのか、告白の応酬もありました。

その中にはとても意外なものも多くありました。

「誰々は嫌いだった」などという告白を聞くと、非常に驚かされました。

僕は当時、そういったことを「考えたり言ったりしてはいけない」と思っていたことに気づかされました。

子供のころは、無意識のうちにいろいろなものを恐れていたのかもしれません。

従兄弟たちと話して感じたのは、「悪いこと」と考えていた様々なことは、悪いと考えなくてもよいのだということです。

それは初めて感じたことではないですが、最近僕がよく感じている「何でも自信を持って考えるべき」ということと、見事にシンクロした気がします。

仕事でも「僕は何でもできる」と口に出して、それを人に聞いてもらいながらやっていこうと思いました。

実はこの飲み会に、弟がフィアンセ(もういま時点では入籍済み)を連れてきました。

僕は一度会わせてもらっていますが、初めて会う従兄弟たちと、いきなり打ち解けていました。

サプライズのケーキでお祝いしましたが、始終おめでたい雰囲気でいっぱいになりました。

忘れてしまうものが多くて寂しいことが増えていますが、新しいものも増えています。

新陳代謝をしながら、人生は少しずつ進んでいくようです。

とても楽しい飲み会でした。